大阪のカジノ候補地「夢洲(ゆめしま)」

2018年8月17日 オフ 投稿者: user

カジノ法案が成立して、日本でもカジノが出来る用になる事がどんどんと現実的なものとなっています。そしていろいろなところがその候補地として名前が出てくるようになっているのですが、大阪のカジノ候補地としては「夢洲(ゆめしま)」があります。大阪は早くからカジノに対して前向きな姿勢を打ち出していたという事もありますし、既にカジノが出来るという事を前提とした都市計画を進めているという事実がありますから、ここにカジノが出来るという可能性はかなり高いものがあると考えていいでしょう。ここからカジノ産業というようなものが発展していく事になるのかもしれません。
建前として観光業の一つにカジノというものがあるという事になっていますが、誰がどう見てもカジノがメインだという事は誰もが思う所のはずです。だからこそカジノというものに拘ってきたという事も言えるでしょう。カジノがなければ別に今までの大阪と何も変わる事は無いと言ってもいいかもしれません。ただ綺麗な施設があるというだけのことになってしまいます。何しろ大阪にしろ他の候補地にしろ、カジノ以外で観光の目玉となるようなものは特にはありません。だからこそ、カジノというものを推してきたわけで、カジノ無しでは今以上の魅力をアピールすることにはならないという事で、カジノが出来ているわけです。他に目玉となる物があるのであれば、別にわざわざギャンブルで禁止されているものを目玉に持ってくる必要などないわけで、それをしているのはそれだけの効果があるという事が考えられるからでもあります。
カジノに反対している議員がとても不思議な事を言うのですが、カジノを作ったからといって人が来るとは限らないし、失敗する可能性もあるという事を言っています。ですが、必ず成功すると決まっているのであれば、そもそもこのような事は議論する事も無いわけで、今までやらなかったのだという事で逆に問題視されるという事になります。失敗する可能性はビジネスとしてするわけですから、当然あるわけで、そのリスクを出来るだけ低くしながら成功するように持っていくのが観光立国を目指す日本がしなければならない事だと言えるでしょう。今の日本に不足しているのはこのチャレンジ精神だと言ってもいいのかもしれません。
今の日本は観光で様々に外国人が来てくれるようになっているのですが、外国人のほとんどが求めているのが、過去の日本の美であったり、考え方だったりというものです。お城や忍者、古墳など過去の遺産がその象徴的なモノだと言ってもいいでしょう。つまり、今の観光客は日本の昔を見に来ているのであって、今の日本を見に来ているのではないという事を考えておく必要があるという事です。昔の姿を見に来ているという事は、一度見ればそれで次が無くなる可能性が高いという事を意味することになります。これがどういうことなのかというと、ギリシャをイメージすると良いかもしれません。ギリシャは過去の建造物などで多くの観光客を呼び込むことに成功して観光立国として成長しましたが、そのおかげで働かなくなり観光業だけに頼るようになり、観光客が減ったとたんに成り立たない国となり、ギリシャショックといわれるような経済危機を招くようなところまで落ち込んでしまいました。これは完全に過去の遺産に頼り切ったビジネスをしたからだといって良いでしょう。自分達は何もしないで過去の偉人たちが作った作品を見せるだけという極めて楽な事だけを考えて生活をしていたので、こうした危機に陥ったというわけです。今の日本も今のままではこのギリシャの二の舞になると考えていいでしょう。観光業で身を立てていくというのであれば、今の日本をより魅力的なものと見せるだけのものが必要になるというわけです。そして、その候補として出てきたのがカジノというわけで、ギャンブル王国の日本としては当然の事という事が言えるのかもしれません。
日本をギャンブル禁止の国といっているのは、日本人だけで海外から見れば日本ほどギャンブルが浸透している国はありません。何しろ駅前には必ずギャンブルの王道でもあるパチンコ屋があって、安心してギャンブルをすることが出来るようになっているのです。パチンコ屋は駅前の風物詩として必ず登場すると言ってもいいかもしれません。これほどにギャンブルが出来る場所があるのは世界でも稀といって良いでしょう。ですから、カジノが出来てこれが観光客の呼び水となっても全然不思議ではないのです。カジノを否定する議員はまずパチンコを何とかしてからカジノについても否定しなければならないでしょう。何故ならカジノは出来ても別にそれほどの売り上げにはならないからです。何しろ日本のパチンコの売り上げはラスベガスの売り上げの10倍を超えるとも言われているのですから、まずはこの現状を正確に認識する必要があるという事が言えるでしょう。